『暇と退屈の倫理学』に触発された、現代人のための「生きる指針」
この記事を書いたライター
田中 真佐夫 (たなか まさお)
年齢: 55歳 職業: 大学教授(文学部)
哲学書なのに、なぜこんなに読みやすい?
本書は、國分功一郎氏による『暇と退屈の倫理学』(新潮文庫、2022年)。原著は2011年に出版され、東日本大震災という未曾有の出来事を経験した日本社会に大きな衝撃を与えました。その後、増補新版を経て、この度文庫化された一冊です。哲学という、一般的には難解と思われがちなジャンルに属しながらも、平易な言葉で、しかし鋭く、現代社会における「暇」と「退屈」の問題を論じています。
その「豊かさ」、本当にあなたを幸せにしていますか?── 『暇と退屈の倫理学』で描く現代社会の病理
國分氏は、まず「豊かさ」という概念から考察を始めます。人類は歴史を通じて豊かさを目指してきたにもかかわらず、なぜその豊かさが達成された現代社会において、人々は逆に不幸を感じているのか。この逆説を、彼は「暇」と「退屈」というキーワードを用いて解き明かしていきます。経済的・時間的な余裕が生まれた現代社会において、人々はその余裕を「好きなこと」に使うようになった。しかし、その「好きなこと」とは、本当に自らが望んだものなのか? テレビやカタログ、広告によって、我々の欲望は巧みに操作されているのではないか? 國分氏は、ガルブレイスの「ゆたかな社会」や、アドルノとホルクハイマーの「啓蒙の弁証法」などを引用しながら、現代社会における消費と文化産業の問題点を鋭く指摘します。
大学教授が直面する、学生たちの「漠然とした不安」── パスカルの「気晴らし」論が照らす現代人の姿
私自身、大学教授という立場上、日々学生たちと接する中で、彼らの「何をしていいのか分からない」という漠然とした不安を、ひしひしと感じていました。本書を読んで、その不安の正体が、まさにこの「暇」と「退屈」の問題と深く結びついていることを痛感しました。特に、パスカルの「気晴らし」に関する議論は、目から鱗が落ちる思いでした。「人間は部屋でじっとしていられないから気晴らしを求める」というパスカルの言葉は、まさに現代人の姿を言い当てています。そして、その気晴らしが、実は「欲望の対象」と「欲望の原因」を取り違えた、自己欺瞞に過ぎないという指摘には、深く考えさせられました。私自身、学生時代、いや、それ以前から、この「気晴らし」を求めて、さまよっていたのかもしれません。
ハイデッガー、ユクスキュル… 難解な哲学が、日常の風景を鮮やかに切り取る!
本書の特に優れている点は、哲学的な議論を展開しながらも、常に具体的な事例に立ち戻って考察を進めているところです。例えば、ハイデッガーの退屈論を解説する際に、彼が実際に体験したであろうパーティーの場面を想像させることで、読者は「なんとなく退屈だ」という感覚を、まるで自分がその場にいるかのように追体験することができます。また、ユクスキュルの「環世界」の概念を、ダニやミツバチの例を用いて説明することで、人間と動物の違い、そして人間存在の特殊性を、非常に分かりやすく示しています。これらの具体例は、難解な哲学用語に慣れない読者にとっても、本書の内容を理解する大きな助けとなるでしょう。
「動物になること」で、人間は退屈から逃れようとする ── 衝撃のフレーズが暴く、人間の根源的な矛盾
本書の中で、私が特に感銘を受けたのは、次のフレーズです。
人間はたしかにこの退屈と切り離せない生を生きることを強いられている。しかし、人間にはまだ人間らしい生から抜け出す可能性も残されている。それが〈動物になること〉という可能性である。
人間は、高度に発達した環世界間移動能力ゆえに、容易に一つの環世界に留まることができず、退屈してしまう。しかし、その能力ゆえに、人間は「考える」ことができる。そして、「考える」ことによって、人間は一時的に「動物になる」ことができるというのです。この指摘は、人間存在の根源的な矛盾を突くと同時に、人間が「人間らしく」生きることの難しさと、それでもなお「考える」ことの重要性を、鮮やかに浮かび上がらせています。
このフレーズは、私たちが日々の生活の中で、いかに「考える」ことを避け、「動物になること」、すなわち、何かに没頭することで、退屈から逃れようとしているかを、改めて気づかせてくれました。
あなたは、本当の「豊かさ」を知っていますか? ── 本書が示す、現代人への処方箋
本書は、現代社会を生きるすべての人に、一読を勧めたい一冊です。特に、日々の生活に漠然とした不安や空虚感を抱えている人、自分の「好きなこと」が本当に自分の望みなのか疑問に感じている人、そして、人間とは何か、豊かさとは何か、といった根源的な問いに興味を持つ人にとって、本書は大きな示唆を与えてくれるでしょう。また、教育に携わる者として、学生たちに「考える」ことの重要性を伝えるためにも、本書は格好の教材となるはずです。
あなた自身の「暇と退屈の倫理学」を、ここから始めよう
最後に、本書のあとがきから、國分氏の言葉を引用して、このレビューを締めくくりたいと思います。
本書は、自分が感じてきた、曖味な、ボンヤリとした何かに姿形を与えるには、それが必要だった。
この言葉に、私は深く共感します。私たち一人一人が、自分自身の「曖味な、ボンヤリとした何か」に真摯に向き合い、「考える」ことを通じて、それぞれの「暇と退屈の倫理学」を紡ぎ出していくこと。それこそが、この不確実な時代を生き抜くための、唯一の道なのかもしれません。そして、本書が、その「考える」ための一助となることを、私は心から願っています。